青年よ、ボールを抱えた笑顔が素敵だぞ
開会式に始まり昨夜の閉会式までほぼ毎日、北京五輪の日本代表選手たちの活躍に目を輝かせた。考えてみれば今までにオリンピックに情熱を感じながら観戦するなんて事は自分には無かった一面である。
あるコラムで作家の石田衣良が『自分の身体が動かなくなると、極限まで鍛えあげられたアスリートの魔法のような運動能力が魅力的に見えてくるのだろう』と書いていた。なるほど、確かに4年前と比べれば体を動かす事もめっきり減ってきたと同時に『アスリート』と呼ばれる選手たちの体の構造が自分とは全く異なるメカニズムで作られている事が身をもって理解できるようになり、そこに魅力を感じるようになった。それでなくても昨今はだらしない肉体にムチ打つグッズが大ヒットしたりする中で、嫌でも肉体美に老若男女問わず関心を持つようになったご時勢である。
ただ今回の北京五輪は競技に関わらず、開会式や閉会式に関しても演出の徹底ぶりが見事で中国の芸術性を甘く見ていた自分の恥を知る良い機会にもなった。CGや口パクなどで飽きるほどマスコミは中国を叩きたがるが、中継で見た限りあの感動は思わずテレビ前で声が溢れ出してしまうほどの迫力であった。チャン・イーモウに教えられた事は、『感動』と『恐怖』は紙一重であるという事。統一感やダイナミックとストイックの切り替えしなどは既に演出の枠を逸脱していた。まぁただ巻物に描かれた墨絵には吹き出したが。
しかし今回の五輪の北京での開催で僕たちは、劇的な経済発展の中にある中国の格差問題や食の安全性の低さ、チベット自治区における社会的問題の側面に触れ、知る事ができたという面もある。幾多の国が参加し、国際親善を目的に開催されるオリンピックであるが、観戦していて他国の世情に触れるといえば、開催国か金メダルを獲得した話題の選手の側面に触れる程度で、なかなかその機会は得られない。少なくとも今回の開催に当たり、中国における様々な角度からの厳しい状況を知る事ができた事は非常に重要で貴重である。今後は東京も再び開催国として立候補しているらしいが、ヨーロッパで開催されるほうが個人的には実は嬉しい。
ところで、閉会式でベッカムが登場して蹴り上げたサッカーボールが場内の演出に加わっていた中国人の青年がキャッチするという場面があったが、あの青年は無事に会場を後にできたのだろうか。今回は、串カツ屋で隣のカウンターに座っていた夫婦が『時計がスペイン時間になってたぁ』と言って景気の良い笑えない冗談をかましていたので、どんなバブリーな面してんだと見てみたらスペイン人だったというプチ国際親善オチでバイバイ。