12人の怒れる男
ひょんな誘いから先輩の卒業制作の舞台に立つ事になり、最近は日々その稽古に奮闘している。僕が参加する頃には既に大半の役者たちは話の流れを頭に叩き込んでいる状態で、これは中途半端な気持ちでやるものじゃないなと、その時は後悔と重圧の入り混じった気持ちではあった。
舞台といえば小学4年の『鶴の恩返し』以来で、それこそ芸達者なチビだったので当時は祖父のもんぺを羽織って役に入り込んでいたが、世間を知ってしまった23歳には驚くほどに表現力が乏しくなっている事を痛烈に実感した。そんな舞台も残すところ後6日もすれば公開で、役者陣しかり製作陣しかりのプレシャーをひしひしと感じている。
プレッシャーといえば人生4本目の親知らずの登場で、月末には抜歯をしなければならなくなった。りんごが丸ごと入れれるような大口を開け、ゴム臭い拳を突っ込まれ、血と唾液で苦しみにもがき、口内の硬いものを抉り取られる身体に響く音を骨振動で感じながら天井の雲を彩ったクロスを涙目で眺める様は、客観的に笑えてくる。もはや医者を信じるというただ1つの選択肢しか患者には与えられない。あぁ、考えただけで残酷である。
選択肢と残酷で思い出したが、先日ロシアの『12人の怒れる男』という映画を観てきた。70前半の老人と僕だけの劇場空間に何か世代を超えたシンクロを感じながら観賞したそれは最高の映画であった。
元将校の義父を殺害した容疑でロシア最高刑の終身刑が確実に下されるであろうという事件で、民間から選ばれた12人の陪審員たちが最高裁での最後の審議に迫る会議で、ある1人の陪審員が「無罪」を掲げた事でドラマは劇的に展開していく。
人間味溢れる情事に12人それぞれの個性が見事に入り乱れている。しかし、来年度から日本でも導入される裁判員制度にしてもこの映画を観れば「有罪」「無罪」の選択肢の一方を確実に選ばなければならない状況で、どれほど原告被告の両者の中立に立って判断が下せようか、この映画を観ればその感覚が酷く軽く捉えていた事に気付かされる。
一方で個性という点で12人の陪審員の一挙一動から今回の舞台に参考になる事は山ほどあった。中途半端にできないという想いと、舞台の楽しさを知ってきた辺りから、意識すればヒントは日常生活に山ほど隠れている。最近では6歳の時に中納言の伊勢えびのモノマネをしていた演技のセンスを取り戻しつつあるほどで。あれ?このセンスは必要なのか…。
というわけで、しばし休息していたHI-ENDもそろそろ再始動。今後は世界恐慌を引き起こしかねないアメリカ市場の金融危機と太平洋を跨ぎ、和歌山という片田舎でその打撃をまともに喰らった青年の話なども随時更新していこう。