クリスチャンが信仰の成長を目指すことは基本的に良いことですし、美しいことです。
でも急な成長を志向しすぎて度を越すと、過去の自分の罪に苦しんだり、今の足りなさを罪悪視したり、って不健全なことも起こり得ると思うんです。
そういう時は視点を変えればいいんだよって、神学校で教えられたことがあります。
アブラハムに「空の星を数えてみなさい」って神様が語られたのも、ほら、視点を変
えてみればって言ってるんだと。
神様が創った自然ってでかい。
宇宙ってでかい。
「それと比べて、何て自分は小さいんだろう。
そして何をくよくよ悩んでたんだろう。」
そういう風にアブラハムも思ったかもしれませんね。
さいきん息子とキャッチボールをします。
いろんな大きさのボールを使います。
彼のお気に入りは、小さい赤いゴムボール。
「思いっきり投げて投げて」と大合唱。
いやいや、思いっきり投げたらキミ取れないでしょ(笑)。
小さいボールを手に持つ。
そして考えてみる。
「地球だって、これくらい小さいんだよな。」
神様からすれば、地球ってメチャメチャ小さい。
そして僕たちは、みんなその小さいボールに張り付いてる。
大きさはゴマ粒くらい。
それなのに、「オレは金を持ってる」とふんぞりかえってみたり。
「背が高い」とか。
「社長だ」
「美人だ」
「アタマがいい」
ぜんぶ、神様から見たら、ほんとにどうでもいいんじゃないか???
クリスチャンになっても、そういう視点が全く変わってないとしたら悲しい。
自分(あの人)は、良いクリスチャンになった or なれてない。
自分(あの人)は、賜物がある or ない。
それらがどうでもいいことだとは言いません。
でも、そのことで人を見下げたり、自分が苦しんだりするとしたら、どこか間違っているのかもしれない。
K先生は言ってました。
「誰一人、1ミリだって宙に浮いてないんですよ。
だれもがベターっと、ほんとにベターーっと足の裏を地面に張り付かせて生きてる。
でも、ほんとにわたしたちは、くだらないことで比較しあっちゃうんですね。」
やっぱりあの先生の頭脳は、国が保護すべき(笑)。
人間同士を見て比較はやめよう。
神様の前だけに、すっきり、いさぎよく、生きよう。
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